单项选择题

[四]

夏は太陽の季節だが、秋は月の季節である。
僕は寒い冬よりも暑い夏の方が好きだから、もちろん「花の春」や「月の秋」の方がもっとよい。きっと多くの人はそう思うに違いない。だって寒いより、暑いより、ちょうどよい方がよいに決まっているのだから。
古来、太陰暦を持ち出すまでもなく、東洋人にとっての「月」は時として太陽以上の、深く近くそしてまた大切な存在だったようだ。人の心を静め、昼間の喧騒の中で封印して置き去りにしてきた愁いのようなものや心の弱み、また人には言えないような心の葛藤を自ら掌に広げて眺める時間を与えてくれるような存在。それが月明かりだったのだろう。
人は昼間はどうしても他人と向かい合わざるを得ないけれども、夜にはゆっくり自分と向かい合う。それでここ炉のバランスを保ってきたのだ。
現代人は夜、人口の明かりで自らの生活を照らすけれども「永遠に消えることのない明かり」などというものは決して心にとってよいはずがないのだ。本来夜は暗いもの。
その暗闇の中で己の心の闇に潜むものと対峙し、時には負け、時には乗り越えて、「生きて」来たのである。従って夜が明るすぎれば、人は昼の活動を停止しないので、いつまでも他人との対峙を強いられる時間ばかりが増え、己と向かい合う時間が減ることになる。故に、心が次第に疲弊していく。
心の闇に潜むもののすべてが必ずしも邪悪なものとは限らない。たとえば恋の迷いや人生上の悩みもまた「己と向かい合う夜」の中に含まれるものなのだ。つまり公的なものと私的なもの、昼と夜とは人の心の変更線なのだろう。決して善なるものの極と邪悪なものも極との二つが誰の心をも支配しているわけではないけれど、どこかで危ないバランスを取りながら、人は自分の心が生み出す最大の敵「ストレス」と戦っているのかもしれない。
(中略)
月の思い出は幾つもある。
月の思い出は実は晴れの晩の思い出なのである。
晴れているからこそ、月は美しい。
もちろん台風が迫る晩に山の中腹で見た十六夜の、吹き飛ぶ雲を書き分けるような月を見て美しいと思ったことはあるが、月の記憶の多くは「穏やかに晴れている」ことが条件になる。「穏やかに晴れて」いるからこそゆっくりと心の中にあるものを掌に取り出して思いめぐらせることが出来るからである。
そして、月はどこからでも眺めることが出来る。遠い故郷でも、また近い隣町でも同じ月を眺めているという共感こそが、「月」の与えてくれる安心なのだ。
振り仰げば、どこからでも同じ光を見ることができる孤独な者への支え、さらに暗闇から弱き者を守る救い主、それが月。月は夜の父であり、母であり、神でもある。
秋は月の季節である。そして、この国は月の国なのである。

文中に「自ら掌に広げて眺める」とあるが、その意味はどれか。

A.様々に自然と思いめぐらすという意味
B.自分の力で解決しようとするという意味
C.人には知られたくない秘密を楽しむという意味
D.誰にも邪魔をされることなく考えるという意味