問題Ⅰ 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。答えは、1234 から最も適当なものを一つ選
びなさい。
学習や教育についての調査研究をしていると、「自分は何のために学ぶのか」についていろいろな考
え方に出会う。数育心理学者もまた、さまざまな理論を出してきた。大きく分けると、「何らかの目的
のための手段として人間は学ぶのだ」という「外発的」な考え方と、「人間は学ぶことそれ自体を楽し
む存在だ」という「内発的」な考え方である。
どちらの理論も、それなりに人間性のある面をついていて、もっともらしく思える。(①)、どちら
かで押し通そうとすると、どこか無理があって息苦しい。そこで、学ぶということは、「なりたい自己
(注1)」と「なれる自己」を広げることだと考えてみるとどうだろう。「なりたい自己」というのは、
社会的役割、趣味、思想などを含めた「あのようにありたい」と思う生き方である、「なれる自己」と
いうのは、今の自分の延長として可能な選択肢(注2)である。
私たちは学ぶことによって、それらの自己を広げて、その重なりあうところから何かを選んで「なっ
ていく」。なぜ学校で学ぶのかといえば、日常生活だけでは、「なりたい自己」も「なれる自己」も狭
いところで閉じられてしまうからである。学校の学習に限らず、自分が何か新しいことにトライ(注3)
してみることによって、「それを楽しめる自分」を発見できたり、自分の将来の可能性を広げたりでき
る。
昨年、ある中学校で総合学習(注4)の発表を見た。地域でさまざまな生き方をしている人の様子を見
学し、ポスターにまとめ、教室や廊下を使って報告しあうものだった。その中で、私がたまたま聞いた
のは、子どものために絵本を作り、読み聞かせをしているボランティア(注5)の方に取材(注6)した女子
中学生だった。
彼女の丁寧な発表から、いかに多くのことを学びとり、その方に尊敬の意を抱いているかが見て取れ
た。しかし、私が驚いたのは、「君もあの人のようになってみたいと思うの」と聞いたときの答えであ
る。「いえ、まだ、すぐには決めません。一人の方に収材してみて、これだけいい経験ができたので、
他の人からもいろいろ聞いてみたいからです」果てしなく(注7)広がっていく(③)を見た思いがした。
(市川仲一「自分の可能性を広げる糧に」「学びの時評」読売新聞2006年3 月13 日付朝刊による)
(注1)自己:自分
(注2)選択肢:何かを決めるときに、選ぶことのできるいくつかの手段
(注3)トライしてみる:実際にやってみる
(注4)総合学習:いくつかの科目で得た知識をまとめて、調査や発表をする授業
(注5)ボランティア:人や社会のために、お金をもらわずに働くこと。またはその人
(注6)取材:記事を書くために情報を得ること
(注7)果てしなく:限りなく筆者は女子中学生の発表を聞いて、彼女がボランティアの人に対してどのように思っていると感じたか。