单项选择题
[二]
外国のものの移植でいちばんはっきりしているのは、翻訳である。外国語を母国語に移すというのは、思考の移植にほかならぬ。外国語の初歩の学習者はなんでも訳せると思っているが、外国語で訳すことができる部分はごく一部だというのがほんとうのところである。単語一つでも翻訳不能のものがいくらでもある。このごろ日本でも使われるようになったプライバシーという語にしても、まだ訳語はない。このままカタカナの日本語になる気配もある。
単語でもそうだから、文章や、もっとまとまった書物の単位での翻訳となると、理論的にはきわめて困難であると言わなくてはならない。しかし、現実には、優れた翻訳が出ており、それによって、読者は啓発されたり、感動させられているのである。そこに、移植の神秘があるように思われる。
ところで、このごろ、翻訳家になりたいという若い女性が増えている。これまで、翻訳とか翻訳家と言えば何となく文学的な文章を訳すことを想像したものだが、最近はもっと実用的な翻訳のことを考えているらしいのも変化である。翻訳が芸術から技術になりつつあるのかもしれない。その技術者としての翻訳家に憧れる人たちが多くなったというわけである。翻訳を技術なりと割り切ると、ひとつの言語に盛られている思想内容を別の言語へ移し変えるのが、ここで言う物理的移動に近くなるのは自然の成行きであろう。移動の技術さえ優れていれば、何でも横のものを縦にできるように錯覚する恐れがある。それで外見上は翻訳されたようでいて、その実、翻訳ではないものがますます増えるかもしれない。優れた思想や技術はしばしば、当分の間、外国人の近接を拒む。それがやがて少しずつ分かるようになって、しっかりした翻訳が生まれるまでになる。この間、30年くらいは要するのである。
さらに理解作用そのものが、他者を自分の精神の土壌の中へ定着させようとする移植の作業であるということもできる。あるときどうしてもわからなかったことが、何年かして、突如として、氷解するというような経験をするのは珍しくない。これも、移植したものが、そのときになってはじめて、生命を確保して、新しい組織の中で芽を出したことを意味するのではあるまいか。
ほんとうに優れたものは、しばしば、生まれた時代や社会に適合しない。他所へ移してもなかなかすぐには新しい活躍をはじめない。一種頑固なところ、こわばり(僵硬)をもっているのである。それでいて結局、移植、移動、翻訳、理解などの困難な変化に耐えて、真の不滅の生命を得るようになるのである。ほんとうに優れたものが、たとえ時間はかかっても、人間の心から心へ移植できるということは、考えてみればすばらしいことである。
文中の「そう」の指すものはどれか。
单项选择题 文中の( ア )に入れるものはどれか。